杉良太郎(71)が心臓の大動脈弁狭窄(きょうさく)症のため、12月15日に都内の病院で手術
今年の8月に肺炎のため入院した際、心不全を起こしていた杉良太郎が、心臓の大動脈弁狭窄症のため、12月15日に都内の病院で人工弁置換手術を行い、成功した。経過良好で現在はリハビリ中という。大動脈弁は血液が心臓から出ていく出口の広さが3~4平方センチメートルが一般的だが、杉は1平方センチメートル以下。これは3段階で最も重い症状のため、手術を決断したという。
source:スポーツ報知
杉は2011年3月11日に発災した東日本大震災直後から、被災地への支援活動を開始。原発事故直後に、『線量の多いところで暮らしている皆さんがどんな想いをしているか』との思いから福島原発周辺を訪れ、「装備もマスクもせずに深呼吸」したり、福島原発作業員の拠点となっている、双葉郡のサッカー練習施設「Jヴィレッジ」で激励コンサートを開いたり、2015年3月には芸能人として初めて福島第1原発を視察したりしていた。
こうした姿勢について、杉は「3月11日以降、本当は原発の中に作業員として入っていきたかった」とまで話されています。
杉良太郎「3月11日以降、本当は原発の中に作業員として入っていきたかったのですが、それを止められました。あそこで何かできることがないかと模索し続けていたところ、 4月26日に川内村帰村第一回コンサートとJビレッジで歌をうたうことができました。Jビレッジとは、原発で働く作業員の人たちが重装備の作業服に着替えて、作業し終わって帰ってきて、浴びた放射線の除染をして帰って行かれる所です。
原発の中に入って何か作業をしたいと思っていたのですが、それは叶わず、命をかけて働いている3000人の決死隊の前で歌うことしかできませんでした。しかし、ひとつの思いを遂げることができました。こうして今日、夫婦として表彰されることは、非常に恥ずかしいような、何か恐縮しております。」(「被災地で活動した芸能人ベストサポート」賞表彰式の際のコメント|日本財団)

法的に立ち入りを制限する警戒区域に認定される前の4月19日、福島県の南相馬市と飯館村を訪れた。福島県訪問を決めたのは、先の言葉通り、原発を訪れるためだったという。「原発の中で、命を懸けて働いている皆さんの苦労は計り知れませんから、ただ一言、ありがとう、と言って労いたかった。この方々は、文字通り決死隊なのです」。しかし、防護服を入手することが困難な上、福島県第一原発のみならず、20キロ圏内も立入禁止。杉は、原発から一番近いところで不安な日々を送っていた南相馬市、飯館村を訪れ、ラーメン5,000食を届けた。
同じころに福島県を訪れた、その役職にある政治家たちは、フル装備の防護服で南相馬市を訪れていた。放射線物質対応の防塵マスクをつけ、避難所に立ち寄ることもなく、数分で帰った彼らとは対照的に、杉と妻の伍代夏子は、マスクもつけず、何時間もかけて村民の話に耳を傾けた。伍代とともに自衛隊が検問をしている20キロ地点まで行った杉には、ある思いがあったという。「あの場所に、装備もマスクもせずに行ったのは、福島の、南相馬市の方々と同じ立場になる必要がある、という気持ちからです。あんなに線量の多いところで暮らしている皆さんがどんな想いをしているか……。少しでも皆さんと同じ立場に立とう、と僕はあの場で深呼吸をしたんです」
http://www.cinematoday.jp/page/N0033812

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