1月23日発売の週刊文春が俳優の東出昌大と女優唐田えりかとの不倫を報じて以降、メディア等で東出、唐田への批判の声があふれている中、武井壮,小林よしのり,三浦瑠麗らが、不倫はあくまで当事者間のプライベートな問題で報道はいらないとする趣旨の発言を行った。
武井壮 不倫の記事は当事者が公にする以外必要ある?
不倫の記事ってさ、当事者が自分から怒って公にする以外必要ある?結婚は自由にできる、その後浮気されたり、不一致があったり、お金に困ったり、理由はどうあれ離婚も『選ぶ』ことができるし、続けたっていいあくまだ私事だろ?された側が望んだ場合以外での公表は子供含め当事者の不利益が多過ぎだよ
— 武井壮 (@sosotakei) January 26, 2020
三浦瑠麗 不倫の報道はいらない
不倫の報道はいらないととくダネ!でコメントしたけど、それは杏さん達のプライベートを見せ物にするから。当事者間の問題です。
公益性を考えるなら、民法の見直しの話をしたら良いのかも。杉田議員ヤジに象徴される、「理想」的じゃない家族や夫婦を許さない風潮が少子化を加速させたことなども含め。— 三浦瑠麗 Lully MIURA (@lullymiura) January 23, 2020
このツイートに三浦氏の夫も「公共の電波やTV番組の枠は有限なので。」賛同。
そもそも人様の不倫に関心はないし、一般人なら探られないプライベートを有名人だと晒し者にされるのはどうかと思う。公共の電波やTV番組の枠は有限なので。そもそも、経験的に本能に反する一夫一妻制を守らせる努力が人間にとって壮大な無駄だよね。 https://t.co/VWuFHJqjDc
— 三浦 清志 Kiyoshi Miura (@kiyoshi_a_miura) January 23, 2020
小林よしのり氏も25日、『何が不倫だ、馬鹿馬鹿しい』との見出しでブログを更新し、
『不倫とは「倫理」的に不可ということだから、キリスト教的感覚だろう。
一神教には「絶対」の観念があるから、結婚した者は第三者と恋愛すると絶対悪になってしまう。
もともと日本人は一神教じゃないから、せいぜい「不道徳」という感覚しかない。
道徳は徳への道だから、儒教的感覚と言える。
日本人は一神教が理解できないのに、「不倫」という言葉を流行らせて、妻や夫以外の恋愛は絶対的な悪という認識にまで高めようとしている。
もはや日本人的ではない。異常だ。』
『「不倫」は「絶対悪」なんて感覚は日本人のものではない。』
https://yoshinori-kobayashi.com/19655
と、東出がCM降板させられたり、唐田えりかがドラマを降板させられたりという事態にまで発展している状況について、『異常』と批判した。
SEKAINOOWARIのメンバーSaoriも、不倫バッシングの風潮に対し、「会ったこともない人にパートナーのことを悪く言われたくないなあ」との思いつづった。
幾らパートナーが酷いことをしても、会ったこともない人にパートナーのことを悪く言われたくないなあ。
このクズめ!って思ってたとしても、知らん人には「クズめ!」って言われたくないんだなあ。
— Saori(SEKAINOOWARI) (@saori_skow) January 24, 2020