SF作家、山本弘さんが脳梗塞で闘病中であることを公表した。今年の5月10日から9月5日まで入院していたという。幸い、今では立ち直り、パソコンで文章を打てるようにまでなっているという。倒れた時、山本さんは「世間体を気にして、発見されるのを遅らせていた」ことから、
「あんたなあ、プライドなんか気にしてる場合か⁉ 生命にかかわることもあるねんで! いっそ家の前でごろんと横になって、誰かに見つけてもらうべきやったんや!」
と叱られたという。
山本弘の闘病日記第1話 第一日の出来事(2018/10/9公開)によると、
山本さんは自分の家から徒歩5分のマンションを仕事場にしているが、その仕事場で今年の5月10日、その日は朝から何かがおかしくて、打ち間違いが多く、原稿が進まなく、使い慣れているWORDの使い方がよく分からなくなっていたという。

「あとから思えば、脳の正常な判断力が失われていたのだ。」(山本弘)
山本弘の闘病日記-カクヨム

その後、尿意を催し、トイレに行きたくなり。その時にようやく、肉体にも異常が起きているのに気づいたという。身体のバランスが取れず、ドアノブを回すといったありふれた行為が難しくなり、ズボンのチャックを下ろすことさえ難しくなったという。無事に用は足せたが、トイレで立てなくなり、そのまま1時間以上もトイレに座っていたという。
その後、やっとの思いで、マンションの通路にまで出たという。

すでにあたりは真っ暗だった。どうやって歩いたのかよく覚えていない。ふらふらで周囲のことなど認識できない状況だった。よく車に跳ねられなかったものだと、後になってぞっとしてる。
ようやく家の前までたどり着いた。そこで緊張の糸が途切れたのか、僕は玄関のドアの前でへなへなと崩れおちた。
そんな状況になってもまだ、僕はまだ「世間体」を気にしていた。ドアの前で倒れているみっともない姿を見られるわけにいかない。なんとか下半身をひきずって、玄関の門扉の内側に身体を押しこめた。近所の人のバイクが通り過ぎる音がしたが、僕には気がつかないようだった。
さてこれからどうする。
妻と娘に家から出てきてほしい。僕の窮状に気づいてほしい。
だが、家族が暮らす部屋は。ドアからかなり離れたところにある。大きな声は出ない。どんどんとドアをノックしようにも、とてもそんな力はない。チャイムはとても手が届かない。知らせる方法がない……。

このまま死ぬのかなと、思ったという。
玄関先で一時間ほど倒れていた、その時、

ふと名案を思いついた。僕のポケットにはスマホがある。これで自宅に電話をかければいいではないか。
(もっと早く思いつけ、と言いたくなるが、当時の僕はそれほどまでに知能が低下していたのだ)

何を言った覚えていないが、混乱した口調から、家族は異常事態に気づいたのであろう。玄関のドアが開いたという。

妻はすぐに救急車を呼んだ。危機は去ったと知り、僕はほっとした。そう、ちょっとした病気に違いない。病院で治療を受ければ、明日か、悪くても数日後には元通りになれるに違いない。
娘の美月も外に出てきた。今は大学生。卒論や就職活動で大変な時期だ。ああ、お前にも迷惑をかけてしまったな……。
救急車が到着するまでの間、美月は僕を抱き起して、玄関先に座らせ、肩を抱いて支えてくれた。
「お父さん、だいじょうぶ」
「もうじき救急車が来るからね」
と優しくはげましてくれた。ああ、なんていい娘なんだろう。僕は愛おしくなって、おもわず感謝の言葉を口にしたくなった。
その時、僕の心に戦慄が走った。
「LdV&3#jW$n0」
自分が何を言ってるのか分からない!
言葉が通じない! 娘に感謝の言葉を口することさえできないのだ!

その後、救急車到着。
第2話第一話・補足(2018/10/9)によると、山本さんの妻は老人保健施設で働いていた経験が長かったため、言葉の不自由なお年寄りとの会話に慣れており、脳梗塞の症状に詳しかっあたため、山本さんの電話での声を聞いて、脳梗塞と察知し、救急車をすぐに手配したとのこと。

妻と結婚したことを感謝した経験は数え切れないほどあるが、今回も妻の経験によって救われたわけである。
しかし、同時に妻に怒られた。僕が世間体などを気にして、自分で発見されるのを遅らせていたことを知られたからだ。
「あんたなあ、プライドなんか気にしてる場合か⁉ 生命にかかわることもあるねんで! いっそ家の前でごろんと横になって、誰かに見つけてもらうべきやったんや!」

とりあえず、この病気で倒れた人はプライドなんか気にするな! という妻の言葉を伝えておく。

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