藤井聡 京大教授が7月6日、
新型コロナウイルス対策として、自粛を求める人達について、
「日常」的に「社交」をしていない。自粛の痛みが全く分からないのでため「自粛派」になりがち。
人間にとって、「社交」は何よりも大切なこと。その社交が分からんようなガキは、大人の社会のあり方を決定する自粛論に参画しちゃいかん。

等との意見を投稿し話題に。

【藤井聡】今、「自粛派」になってしまっているのは、コロナに壊される「社交」を持たない人々なのだと思います。

2020.07.06
「自粛せよ」という人達は、ひょっとすると、自粛による痛み、というものを、実は何にも分かって無いんじゃ無いか・・・??

と思ったのです。

はっきり言って僕は、自粛させられていることで、山ほど嫌な思いをしています。

いつも行ってる酒場には行けない。
いつも行ってる釣りにも行けない。
行こうと思ってたライブも中止になったし、
やろうと思ってたライブも中止になった。
新入生歓迎のコンパだってできないし、
今年行こうと思ってたイタリア出張もいけなくなった。

はっきり言って、僕の日常も、日常的社交も皆、コロナ自粛のおかげで、ズタボロにされているわけです。

だから僕は、自粛するのが「嫌だ」という気分を持っています。

でも、中には、そんな自粛が「嫌だ」とは思ってない人がいるんだと思います。

いつも行く酒場も釣り場もなければ、
飲みに行くこともがあっても、
付き合いで行ってるだけで楽しいとも思っていない、
ライブにもプロレスにも何の興味もない。

そんな人はきっと、自粛してても、別に痛くもかゆくもないのだと思います。

・・というところから思い立ったのですが、僕個人のことはさておくとして、

一般的に言って、
「やりたいことが一杯ある人」は自粛は嫌だと思うし、
「やりたいことが特に無い人」は自粛は嫌じゃ無い、
というのは、当然です。

更に言うと、ここまで考えが及ぶと、次のようにも思えてきます。

当方の様に、色んな事をやりたいと思っている人は、
それぞれの場所で、それぞれの人々と付き合いがある。

酒場の店長や従業員、
釣り宿の女将や料亭の女将やミュージシャン・・・
そんな人達と知り合いです。

で、僕があまり行けなく無ったそういう人達は今、皆、
死にそうになっているのです。

だから僕は、そういう人達の苦しみが、手に取るように分かる。

だから、自分のわがままを全て度外視したとしても、
そういうリアルな知り合い達が、自粛によって
首をくくらんばかりの苦しい状況に追い込まれていることが、
手に取るように分かるのです。

ところが、
「やりたいことが(家族と職場以外)特に無い、自粛は嫌じゃ無い人々」
は、そういう、コロナ自粛で苦しめられている人と、全く
個人的な付き合いを持っていない。

だから、彼等はますます、

「自粛しても良いじゃん、誰も苦しまないし、それより、自粛しないでコロナで死ぬ人がいるのが問題じゃん!!」

と思ってしまうのです。

つまり、「日常」的に「社交」をしていない人々は、自粛の痛みが全く分からないので「自粛派」になりがちなのだろうと思います。なんと言っても、自粛のつらさが何も分かんないんだったら、しょうが無いですよね。

一方で、様々な社交に満ち満ちた日常を送っている人々は、自粛の被害というものをリアルに理解することができる。だから、彼等がおいそれと「自粛派」になることは無いのだろうと思います。

より正確に言うとすれば次のように言えると思います。

社交をもたぬ人々は、自粛のデメリットが分からないから、すぐに自粛しろと言いがちになる。

一方で、社交を持つ人々は、自粛のデメリットがよく分かるから、自粛をすべきかどうかを判断するとき、そのメリットがそのデメリットを上回るかどうかを「吟味」する傾向が高くなる、つまり、自粛についての判断が「精緻化する」つまり「より賢明になる」可能性が高いのです。

だから、社会政策としての自粛を巡る議論をする場合は、社交を持つ人々だけで集まって、彼等にコロナの医学的リスクを散々伝えた上で、判断するのが一番いいのでしょう。

一方で、社交を持たない人には、どれだけ自粛のつらさを言ったって何も分かんないので、コロナの議論については、ちょっとお引き取り願っておくのがいいのでしょう。

というか、それって当たり前ですよね。

自粛というのは、そもそも、人間にとってかけがえの無い価値ある「社交」を破壊するという話なのです。その「社交」の価値を、生活者として何も理解しないバカが、そんな高尚な議論に参画して良いはずがないのです。

もちろん、自粛することによる疫学的効果がある一定水準を超えるなら、当方とて、そのかけがえのない社交を一時停止することはやぶさかではありませんし、反自粛論者を徹底的に論破して、多くの国民の命を守ろうとするかもしれません(例えば、致死率が、7割だとか8割だとか言われるペストの場合はそうしたかも知れません)。

でも、今の自粛要請はそういう話とは全然違います。今の尾身的自粛は、「効果があるか無いかよく分からんが、とりあえず、念のため自粛しときますか」的なぬる~い、超いい加減なものにしか過ぎないのです。そんなものに社交の価値を理解するまっとうな大人が賛同することなど、万に一つもあるはずがありません。

・・・ということで、(例えば我が師匠、西部邁が、生前ずっと言っていたように)、人間にとって、「社交」は何よりも大切なことなのです。そしてそんな大切な社交が分からんようなガキは、大人の社会のあり方を決定する自粛論に参画しちゃいかんのです。

でも、ホント、今の日本、そういう大人が少なくなったのは哀しい話ですね。

・・・ということで、また、次の機会に。
https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20200706/

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA